森辰徳くん、誕生日おめでとう!!!
チームのバランサーとしていつも不動峰を支えてくれてありがとう!!
本日、4月18日は、不動峰中2年生「森 辰徳」の誕生日です!
— 『新テニスの王子様』公式 (@tenipuri_staff) 2024年4月17日
どんな強敵相手にも堅実に食らいつき、勝利への一歩を確実に重ねて行ける森くん。
向上心と協調性を兼ね備えている、不動峰の躍進に不可欠な選手です!#テニスの王子様#森辰徳誕生祭2024 pic.twitter.com/SepYdT7gnc
本記事は森くんのプロフィールを読み解いて、オタクが名前、プロフィールの由来を勝手にちょっと考察する記事です。真実は不明。そしてわかることは少ないので非常に短い。
名前について考えてみる
下の名前、辰徳についてはペアプリ4巻にて「巨人の原辰徳監督から付けた」との名前の由来情報あり。
(集英社公式HPのページが消えているらしい。公式URLでなくて申し訳ない。)
「辰徳」の由来が解決したところで、「森」はどこから来たの問題が生まれる。
私は勝手に福永武彦さんから来たと思っている。
森の今一番欲しい物は「絶版になった福永武彦の本」である。
(オークション、フリマサイト等でサーチしてみたが、一部の本はセットで価格が万を越え中学生には手を出せない価格になっている。復刊ドットコムでは福永武彦さんの絶版本に多くのファンからの復刊を望む声が上がっていて、根強い声のおかげで「死の島」は2013年に復刊をしたようだ)
その福永武彦さんの師匠的存在が、「風立ちぬ」などの作品を書いた「堀辰雄」さんである。
戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代の立原道造、中村真一郎、福永武彦、丸岡明などから支持され、彼らは堀の弟子のような存在として知られている。
堀辰雄さんの名前をもじって、原辰徳監督と一緒にして、もじって「森辰徳」…こじつけ臭いがありえそうな線ではある。
厚木在住時代には公営団地に住んでいたが、その団地の同じ棟には推理小説家の森村誠一一家も住んでいた。
1974年、東海大相模高校に入学し、1年生から三塁手のレギュラーとして活躍。甲子園には4回出場している。
東海大学付属相模高校では、2年生の時、1974年の夏の甲子園に出場し、チームは準々決勝に進むが、その準々決勝で延長15回の末に鹿児島実業高校に敗れる。
または許斐先生が原辰徳監督から名前を取る際にエピソードを調べ、
・森村誠一さんから名前を取った
・森正敏さんから名前を取った
説もあるが、それだと福永武彦さんがどこから来たかがわからなくなる…
信憑性が薄いが、森の「スイカ、メロン嫌い」は福永武彦さんの別ペンネーム、「加田伶太郎」からの可能性がある。
短編をまとめた本なのだが、その中に「女か西瓜か」という作品がある。
こじつけにまたなってしまうが、メロンがどこから?と頭を悩ませながら情報を漁っていて面白いなと思ったのが、
「森辰徳アレルギー持ち説」 である。
果物や野菜の中には、花粉症の原因となる物質と同じものが含まれる場合があり、それらを食べると、花粉と同じ抗原だと勘違いして、アレルギー症状が出たりします。
〇イネ科アレルギーの場合:
➡イネ(米)、コムギ(小麦)、トウモロコシ、オオムギ、ライムギ、バナナ、トマト メロン スイカ、セロリ オレンジ など
〇ブタクサアレルギーの場合:
➡ウリ科の野菜:メロン、スイカ、きゅうり、バナナなど
〇ヨモギアレルギーの場合:
➡セリ科の野菜:キウイ、ピーナツ、ニンジン、 セロリ 、りんご、パセリ など
〇ハンノキ科、シラカバアレルギーの場合:
➡バラ科の果物:リンゴ、いちご、モモ、なし、さくらんぼ、すもも、あんず、ビワ など
ウリ科の野菜:メロン、スイカ、ウリ、きゅうりなど
スイカ、メロンの名前があがっているのは
「イネ科アレルギー」「ブタクサアレルギー」「ハンノキ科、シラカバアレルギー」である。
イネ科がダメだと森は蕎麦屋のカレーうどんを食べれないため、彼がアレルギーであるとすれば「ブタクサアレルギー」「ハンノキ科、シラカバアレルギー」 のどちらかだろう。
余談だが筆者もブタクサアレルギー持ちでバナナを食べると耳とのどの間が痒くなり食べれない。(メロンとスイカは暫く食べてないからわからない)
なので森がブタクサアレルギーを持っているなら花粉症持ちの可能性がある。
なお「ブタクサアレルギー」「ハンノキ科、シラカバアレルギー」この三つには花粉症が存在する。
メロンについては上記はこじつけで由来がわからないので、わかる方いましたら是非教えていただきたいです…
森辰徳と蕎麦屋のカレーうどん
森のプロフィールを見て目に付くであろう「蕎麦屋の」カレーうどん。
何故蕎麦屋なのか?と思う方もいるかもしれない。
その答えはカレーうどんの誕生の経緯に隠されている。
日本で初めてカレーうどんがお目見えしたのは、1904年(明治37年)頃と言われています。
そのカレーうどん発祥の地は、東京・早稲田の老舗のお蕎麦屋さん「三朝庵」。和麺・うどんをカレーの汁でいただくという、この斬新なメニューは登場するやいなや早稲田の学生の人気を獲得したといいます。
文豪、小説家には早稲田大学出身の方が多い。
こちらのサイトでは早稲田大学が小説家等の出身校ランキング第1位である。
早稲田大学との結び付きも強く、「早稲田の関係者なら誰もが知っている」と評されていた。
森は昔早稲田大学に通い、昼飯を求めにお店に来て、カレーうどんをすする「後に文豪になる方々」のことを思いながらカレーうどんを食べていたのだろうか…
なお、三朝庵さんは2018年7月に閉店している。
セブンイレブンでは過去に「お蕎麦屋さんのカレーうどん」が販売されており、今は名前が違うカレーうどんが販売されているが、こちらの記事を書いた方によると蕎麦屋のカレーうどんに近いテイストのようだ。
発祥のお店は無くなってしまったものの、まだまだ全国には存在はしているようなので、今日も森は「次の休みに、どこの蕎麦屋のカレーうどんを食べに行こうかな…」と考えているかもしれない。
まとめ
筆者がプロフィールを見て推測しまとめた情報の為、許斐先生が読者からの森に関する質問に対して口を開かない限りは正しいかは不明だが、森辰徳のプロフィールに込められた文学への思いを感じることができた。彼は本当に文学を愛する少年だったんだな…
そんな彼の名前を声を上げて呼ぶことができる(可能性がある)ドリームライブが楽しみである。
宣誓の一番手が彼であること、そして彼と不動峰テニス部の今後の成長と発展を祈りつつ、この記事を締めさせて頂きます。